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【コラム】モンゴルに見るグローバル化への応答

こんにちは、グローバリズム分科会の角銅と申します。農学部の4年生で、以前はアジア開発学生会議(ADYF)という学生団体で発展途上国の社会問題を調査していました。議長によるメンバー紹介に続き、コラムをとのことで、書かせて頂きます。

今回のコラムはグローバリズム分科会ということと僕自身の経験から、【モンゴルに見るグローバル化への応答】について書きたいと思います。
まず、グローバリズムグローバル化と聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。以前のユン議長の記事(グローバリズム分科会 - 京論壇2017公式ブログ)にもあったように、グローバル化の実態はかなり多岐にわたります。基本的な概念としては「国家間の国境がなくなり、ヒト・モノ・カネ・情報といったものが流動的になるような方向に進むこと」だと理解されており、具体的には移民や貿易、外資系企業の参入の増加、文化や価値観の均質化などが象徴的だと思います。
またグローバル化の功罪としては、より大きく自由なビジネスを可能にする一方で、格差の拡大、ナショナリズムの対立、均質的な価値観と宗教の対立などの社会問題も後を立たず、近頃は特にこれら悪影響の面が急激に国際情勢に反映されてきているような印象があり、反グローバリズムとも言える動きも見られます。

本題に入りますが、今回はこの多様な現象の中で「文化の均質化」という一面に焦点を当てたいと思います。まず、下の写真をご覧下さい。

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この写真は、僕が大学二年生の時にモンゴルのゲルを訪れた際に撮ったものです。バイクやテレビアンテナはおろかソーラーパネルまであることに正直かなり驚きました。モンゴルは元々乾燥地帯であるため草原はあっても農業をするほど十分な水資源がなく、家畜を飼うことで限られた草原という資源を活用していました。常に十分な草を確保するために遊牧というスタイルを取っているので送電線を張り巡らせるという他国のシステムが成り立たず、現代ではこのようにソーラーパネルを使っているといいます。「発展途上国におけるグローバル化」と聞くとどうしても前述の格差の拡大という観点が目立ちますが、このようなポジティブに捉えられる影響も確かに存在します。

しかし僕が注目したいのは単にモンゴルが科学技術を取り入れているということだけでなく、自国の文化を保存しながらうまくグローバル化を利用し、文化の均質化に抗っているというところです。この写真に見られる光景のミスマッチ感ないし違和感を感じる理由は、その珍しさではないかと思います。
グローバル化による文化の均質化に関しては、先進国は勿論多くの発展途上国にも当てはまります。マクドナルドは100カ国以上に進出し、消費材メーカーのP&Gに関しては180カ国とほぼどこでもその商品を手に取れます。正規品かどうかは別として有名ブランドのシャツや欧州サッカーのユニフォームは発展途上国でもかなり人気で、町中で見られます。東南アジアのモバイル普及率はほぼ全ての国で100%を超えますし、東南アジア諸国の多くはFacebookのユーザー率で日本を上回ります。どの国でも同じものを利用し同じような職業に従事し、同じものを欲しがっているという実感を持ちます。それは連帯感とも取れますがやはり文化の喪失と表裏一体です。そして日本もまた同様であり、僕の生活でも料理を除けば日本文化といえるものはほとんどないように思えます。賛否両論ある特殊な社会的慣習くらいでしょうか……。このような時代においてモンゴルの遊牧民の出した答えはとても価値のあるものだと感じました。

グローバル化によるライフスタイルの均質化それ自体は悪とは言えません。似たもので言えば価値観の均質化の方が、その押しつけによる宗教色の強い国における混乱や反発を招く危険性あるでしょう。しかし、やはりモンゴルのように自国の生活や文化や誇りを守り、強いアイデンティティを持つ人々を目の当たりにすると、どこか羨ましさのようなものを感じたのを今でも覚えています。日本人はグローバル化にどのように応答し、日本らしさを守っていくべきなのでしょうか。政治経済の文脈で語られることの多いグローバル化ですが、今一度文化についても問い直してみるのも面白いかもしれません。

 

農学部4年 角銅健