京論壇2017公式ブログ

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東京セッション報告④

京論壇の東京セッションが終わって1ヶ月が経とうとしている今、当時の議論を振り返ってみると、とんでもないくらい密度の高い議論だったなとしみじみ思う。そもそも、留学生でありながら議長を務めるというのは私自身にはとても大きなチャレンジであった。議長のポジションに応募し、面接を受けた時にも「日本人ではないからこそ日本について語れるものがある」と述べたのを覚えている。

東京セッションでは、愛国心ナショナリズムグローバリズムの関係について話した。なぜ今の時代に至って反グローバリズムの動きが顕著になってきたか、その理由を探るために、行き過ぎたナショナリズムがいかにグローバリズムによって即発され、程よい愛国心反グローバリズムの線引きはどこにあるのか、北京大生と率直に話し合うことができた。
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実は、北京セッションが終わり、東京セッションのトピックがまだ定まっていなかった時、東京セッションで「愛国心」について議論することを強く主張したのは私だった。それは、北京大生と初めて会って話した時に強い愛国的な感情を感じたこともあるが、何より私自身、そして、日本人には愛国心がないのではないかと昔から思っていたからであった。政治に無関心であったり、いわば「愛国心がある」と言われる人がネガティブな印象を持ち、社会的に煙たがれたりするのが不思議だった。いくら戦争の記憶で愛国教育が警戒されるとはいえ、自分の国を愛することが許されない社会は酷だと感じてきた。

だからこそ、私は愛国心について話すことで、日本人の本音を知りたかった。自分の生れ育った国に愛情がないわけがない。戦争の当事者でもない今の世代の日本人は、なぜ愛国心を公に出してはいけないのか。彼らにとって愛国心とは何なのか。その点を掘り下げてみたいと思った。
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結論から言うと、日本人の愛国心歴史教育とは無縁であることがわかった。韓国や中国とは違って、日本の敗戦の歴史は過去の歴史を通して、民族的な誇りを持たせることを許さない。今の世代の日本人にとって歴史とは距離を取りたいものであり、このような記憶の断絶が、今の世代の中国人との愛国心の認識のズレに決定的に影響を与えている。その代わり、日本人の愛国心は経済大国であること、マナーがいい、世界に広がるアニメなどの日本文化など、非常にプラクティカルなところから起因している。これは歴史や民族のような不変的な属性とは程遠く、愛国心において中国との温度差をある程度説明する要因かもしれない。

しかし、ルールを守ることがすなわち道徳的な規範である日本的な考え方は中国や、その他の国では通用しない。力関係や、実利的な利害関係によってルールは簡単に覆される中国社会において、マナーを守ることは道徳的な規範とイコールではないからである。このような違いに気づかないまま、「中国人はマナーが悪い」と日本の感覚で非難しても、それが有意味な批判であるかは疑問に残る。マナーを守ることが何よりも大事だという規範はあくまでも日本独特の文化に過ぎないし、そのような価値観を他者に押し付けるのは少し傲慢かもしれない。

京論壇はこのように、単に中国社会を理解するためのものではない。他者を鏡とし、映し返される自分を発見し、そこから新しい気づきが生まれる。私の場合、日本と中国、そして自分自身の韓国人であるアイデンティティーについて理解を深めることができた。このようなセンシティブな話題にここまで踏み込んだ話ができたのが京論壇のすごい点でもあるように感じる。最後に、私たちがこのような有意義な議論をすることを陰でサポートしてくださった方々に感謝の言葉を申し上げたい。

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教養学部4年 ユン・ミレ