京論壇2017公式ブログ

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北京セッション報告⑤


 こんにちは。2017年参加者の農学部獣医学課程所属の坂西と申します。
 ジェンダー分科会北京セッションの活動報告をします。
 
 ジェンダー分科会では議論を三つのパートに分けて進めています。
 パート1は言葉の定義。キーワード一つ一つの語義を日中のメンバー全員ですり合わせて、話し合いの土台作りを行いました。
 パート2では、「教育」「仕事」「家族」の側面から具体的な事例を挙げて見ていきます。社会的な影響が大きく、なおかつ大学生が主体的に話し合うことのできる切り口として、「教育」「仕事」「家族」という三つの柱を立てることにしました。
 パート3では、事例に対するアクションを組み立てます。パート1や2で話し合ったことを受けて、何を考えたのか。ジェンダー問題について私たちがどんなアクションを起こせるのか。

北京セッションでは、パート1およびパート2の一部が終了しました。
先日のブログで同じ分科会のメンバーが報告してくれた通り、「教育」の事例で難関大学での女子学生の割合の低さを取り上げました。(過去記事参照)

「仕事」に関する議論では、京論壇のメンバーを対象に、就職先選びで重要視するポイントについてアンケートを取ることで、日中そして男女の仕事に対する考え方の違いをみました。
もちろん偏ったサンプルではありますが、一つ面白い発見がありました。男女という側面で集計をしてみると、東大では男女間で就職先の重要視するポイントに様々な違いがある一方で、北京大では男女間での差は日本側ほど見られません。
私たちはこの事実に対し、二つのことを考えました。一つは東大生にこんなに男女間の違いがあるのかということです。女子ではwork life balance, stabilityを重要視する割合が男子より断然多い結果でした。(Fig.1) 男女に違いがあることが必ずしも悪いというわけではありませんが、これほど違うのかという点は大きな驚きでした。東大生は一般に教育水準が高いと言えます。それでもこれほどの差がありました。受けてきた教育の程度に関わらず日本では、男女の性差が考え方に大きな影響を及ぼしていると感じました。
一方で北京大学では大した男女差は見られませんでした。(Fig.2) キャリアを考えることは、社会規範の影響を受けずにはいられないはずです。ですから、中国における男女間の意識の差というものはなくなってきているのかもしれないと感じました。
f:id:jingforum2017:20170923093925p:image《Fig.1》京論壇2017東大参加者(女10名、男8名)


f:id:jingforum2017:20170923093929p:image《Fig.2》京論壇2017北京大参加者(女10名、男10名)

こうした背景には両国の様々な文化的政治的な背景があるでしょう。すべての要因を解明していくことは、私たちの目的ではありません。そもそも時間的制約からも不可能です。しかし、一つ一つ考えて話し合っていくことで自分たちの見えていなかったものに光が当てることはできます。私にとって、そうした発見は非常に有意義なものに感じます。


 f:id:jingforum2017:20170923094049j:image万里の長城にて》
北京セッション1day tripで万里の長城を訪れました。

 歩いたのは長城全体の0.2%程と考えられます。それだけでも、帰りのバスは皆さんお疲れの様子でした。
気が遠くなるほど長く、急峻な斜面を歩きながら、私は中国の人口について考えました。
議論を通していろんな面で日中の考え方の違いがあるかと思います。例えば、「公平」の捉え方です。どのようなものを「公平」だと思うかは、日中でのずれが大きいのではないかと感じました。文化的な背景、政治的な背景、使う言語、宗教、様々な要因が挙げられるかと思います。そのうちの要因の一つに人口の差もあるのではないかなと感じています。


万里の長城、英語でいうと“Great Wall”(個人的にはこちらの言い方が好きです。)
これを建立するために、それこそ考えられないような人手が動員されたことでしょう。人口の違いは歴史そのものの重みを変えてくるのかもしれません。丁寧とはいいがたくも、一段一段、確実に積み上げられた石の階段がそれを物語っていました。
 さらに、そうした石一つ一つを見てみると、発見があります。階段の手すりに近い登りやすい位置にある石では、中心が滑らかに凹んでいます。きっと、訪れた人間が足のかけやすい石を選んで登るために少しずつ集中的に削られていった結果なのでしょう。人口が大きいということは、建てた人間の多さはもちろん、それを訪れる人も多いのです。
人の多さによる歴史の違いはもちろん、現在の考え方の差を生んでいるでしょう。しかし、それだけでなく出来事が消化されていくスピードが早いというのも大きなポイントなのかもしれません。文化大革命共産主義の確立などの出来事が影響を与えた人間の数でいうと、日本で同じことが起こるよりももっと大きいわけです。
地球上に存在する物質的なものは不変です。中国でも日本でも石の重さは変わらないのです。同じ人口割合の人が、積み重ねることのできる石の全体量は変わってくるわけです。割合よりも数そのもので考えることも時には重要なのかもしれません。
より多くの数の人間を巻き込んで起こった変化は、急激にその社会での認識を変えていくのかもしれません。

そんな取り留めのないことを考えて北京の楽しい思い出を振り返っていましたが、気が付けば、あと2週間。10月から始まる東京セッションでも現実と真剣に向き合った議論を重ねていきたいと思います。

農学部獣医学課程6年 坂西俊太