京論壇2017公式ブログ

京論壇2017の公式ブログです。ゆるふわに記述することを心がけます。

代表挨拶

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京論壇東京セッションが終わってからはや2か月が経過しようとしています。
報告書も次第に書きあがりはじめ、来年度の京論壇への引き継ぎも始まっています。
参加者もすっかり日常生活に戻り、私がこの記事を書いている11月25日には、駒場祭で出店をしている者も多いです。街はクリスマスに染まり、安田講堂前のイチョウ並木も黄色い葉を散らせています。

 

新しい年、新しい京論壇を迎えるにあたって、総括として、この活動を支えてくださった皆様にお礼を申し上げたいと思います。


弊団体の活動を可能にしてくださった、スポンサーの皆様へ。私たちの活動を本年度も支えてくださって、誠にありがとうございました。団体の全員を代表して御礼申し上げます。代表の私をはじめ、至らないところの多い学生団体ではございますが、皆さまの期待に応え、少しでも日本と中国の間の相互理解、相互信頼を深めることに寄与できておりましたら幸いです。


顧問の高原先生をはじめ、支援してくださった東京大学北京大学の先生方へ。先生方のご理解とご協力があって初めて弊団体の活動が成り立ち、かつ意味を持ちます。時には厳しいご指摘もいただきましたが、それがあってこそ、有意義な交流と意見交換、さらにはアウトプットができたかと思います。心より感謝申し上げます。


最終報告会に来てくださった皆様、その他さまざまな形でこの活動を支援してくださった皆様へ。京論壇の活動について知っていただけたこと、大変うれしく思います。微力な学生の声ではございますが、皆さまと新しい知見や新鮮な学生の声を共有できていればうれしく思います。


たくさんの方々のご支援の上に、弊団体の活動が成り立っていることを忘れず、今後も精進していきたいと思います。京論壇の意義は継続的な議論の積み重ねにありますので、本年度の成功も失敗も諸々来年度へ引き継ぎたいと思います。

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京論壇の存在意義について少し綴りたいと思います。


私が大学一年生のころに比べ、また先輩方から聞く話ですとそのさらに前と比べ、国際系交流団体の数が劇的に増える一方、国際系交流団体に参加する学生の数は減りつつあると思います。就職活動の関係もあるかとは思いますが、よく聞く声としては「やってどうなるのか」「もう古い」「めんどくさい」などです。これらは、私が京論壇の活動をやっている中で持つ疑問でもあったので、やった結果から自分がどう感じたかについて、自己満足ながら書かせていただければと思います。


「やってどうなるのか」について。これはやる意味があるのか、何が得られるのかと類似する疑問かと思います。結論だけ簡単に述べるとすれば、成果主義から見るのであれば、確かに留学、インターン、プログラミング教室などと違って、目に見える成果や直接(例えば就職活動の面接などで)主張できるような圧倒的成長は京論壇にはないと思います。英語を使わされるので、また中国の方と話すうえで中国について学ぶ必要はある程度あるので、間接的に知識は増えるかとは思いますが、その程度でしょう。ですが、京論壇の活動には、個人にとっても社会にとっても意味があると思います。社会の側面から見れば、民間外交の中でも強い象徴性を持つ活動として、また、大人が忘れがちな、あるいは言いづらいと感じてしまいがちな本音や本質の議論の代弁者として。個人の面からみれば、もう少しその成果は感じづらいですが、日本に残された数少ない議論をする場としての価値があるのではと思います。私自身もそうですが、意見がある、言える、変えられる日本人は少ないと思います(もしこれを読んでくださって議論してくださる方がいたらいつでもしたいと思いますが、これは私の持論の「諦めた日本人」像と通じる部分があると思います)。意見を持っていても、それをイデオロギー化しがちです。考え方を相対化させられる場としての京論壇は意味をもつと私は思います。
この必要性には、古いも新しいもないと思います。自分を客観的に、かつ、批判的に見られる力はなかなか今の社会では(フェイクニュースしかり、ガラパゴス化しかり)育たないと思いますが、その力が社会で生きていくうえで欠かせないものであることはどの時代でも通底するものかと思います。「めんどくさい」、への回答とも類似しますが、怠惰こそが堕落と破滅の根源であると思います。めんどくさい、古臭いのは百も承知ですが、プロセスが遅いからと言ってそのプロセスを欠いた議論をして結論に至ったとしても、それが意味を持つ結論だとは思えません。そもそも、結論には絶対的正解がない状態で、社会には漸進しかありえない中で、議論は結論に正当性を持たせる唯一の方法だと思います。
これらを踏まえると、京論壇は日中交流という側面からはもちろん、考えることを学ばせる場としても意味を持ち、存続すべき、させるべきものだと私は思います。

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蛇足ですが、最後に日本の将来について。


今、日本が直面している事実だけを並べ立ててみたいと思います。
日本は、高齢化率が27%を超えている国である。
日本は、食料自給率が40%ほどの国である。
日本は、エネルギーの9割以上を輸入している国である。
日本は、子供の14%が貧困の中で暮らしている国である。
日本は、働く人の20%が週49時間以上残業をする国である。
日本は、1000兆円以上の借金を抱えている国である。
日本は、核兵器を持たないながら、核保有国と緊張関係を持っている国である。


私にはこれらの事実は恐ろしいとしか言いようがないです。しかし、それよりさらに恐ろしいのが、これらの事実を認識してかせずしてかはわかりませんが、私が歩く東京の街に漂うあきらめの「空気」です。
ここで、「でも、中国に比べれば、アメリカに比べれば、20年前の日本に比べれば」という議論が出てきがちです。でも、それは、今の日本が複数の大変難解な問題に直面していて、それを解決しないにしても漸進的に解決に近づける必要があることの否定にはなっていないと思います。なおかつ、ここまで言ってしまうことが許されるのであるとすれば、京論壇で中国に行って感じたのは、日本の空気よりはるかに、中国の方が明るいということです。問題はあるにせよ、今は政治に声が持てないにせよ、資源が足りない、高齢化ももうすぐ進むにせよ、中国の人はなんとかそれに対応しようと励んでいる印象を受けます。必死に生きようと。
日本の街からは、そのような、必死さが感じられません。静かに死を受け入れた潔さといえば聞こえがいいですが、解決策を考える、現状をよりよくする、理想にむけて走り続けることを自らしようとしないだけではなく、そうしようとする者を謗る空気があります。そして、上に羅列したどの数字よりも、日本を殺しているのはこの空気かと思います。
私は、もっと日本に議論があってほしいと思います。もっと、喧嘩があってもいいと思います。もっと、みんな泣いて、叫んで、笑っていいと思います。そしてもっとそのような場があって、その場の声が聞こえてきてほしいと思います。
京論壇が来年以降も、こういう声を届けられる場であり続けることを願いつつ、筆をおきたいと思います。


皆さま本当にありがとうございました。

 

京論壇2017代表 有元万結